自然な美しさ

今日は夢の中であるイメージが広がり、忘れないうちに目覚めてすぐそのまま寝室を出て、仕事部屋に行き、急いで五線紙にメモを書き留めました。
南向きの仕事部屋は朝陽がいっぱいで、レースのカーテン越しに広がる窓の外は一面の青空で、本当に爽やかな朝でした。
さて、前回登場されたお二人のうち、まず、すぎやまこういちさんの「いいねぇ…」のお言葉、その意図は今もはっきり詳細まで分かった訳ではありませんが、その時編集スタジオで一緒に作業をしていたディレクターの岩田さんに向かって連発していた「美しい」と、私に何度もおっしゃっていた「自然なのよ」がその内容の輪郭を表していたと、今ではその全容が繋がってきました。
私の世代にとってすぎやまこういちと言えば、ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」やザ・タイガーズの「僕のマリー」「花の首飾り」ビレッジシンガーズの「亜麻色の髪の乙女」ガロの「学生街の喫茶店」…、あげればキリが無いほどのヒットを飛ばして一世を風靡した作曲家でしたので、デビューしたばかりの私の曲を聴いて、熱心に感想を言ってくださったのが今でも不思議ですが、その後シンガーソングライターをやめて作詞、作編曲などの仕事をしていく中で、すぎやまさんのおっしゃっていた意味が少しずつ見えてきました。
それは要約して結論から言えば、はねおかのメロディーは自然だから美しい、そこが「いいねぇ…」と言っていただいていたという事のようでした。
そして、おそらくは一緒にいたディレクターのシワザもあって、1stアルバムのオビは、美しいメロディー、美しい詞、美しい歌声、のキャッチコピー、発売前には全国紙に新聞広告が出されて、当時の私はこのキャッチフレーズが恥ずかしくて、嫌でたまりませんでした。
話を戻して、自然なメロディーという意味ですが、私はあれ以来50年近く音楽に携わってきた今、様々な仕事を通して、メロディーも詞もアレンジも、確かに自然なものと、そうではないものとがある事を実感しています。
もう少し細かく言えば、天然自然物と、それに対して人工合成物があるなと感じています。
それはあたかも自然に咲いた花と、それに対する造花の花に似ています。
花は生物で造花は姿形は花とそっくりでも、生物ではなくプラスチックです。
天然自然物は、文字通り天然自然で無理がなく、それでいてたとえマイナーキーの曲であっても思わず癒され、励まされてしまう「美しさ」のエネルギーがあり、つまり私たちの生命に共鳴する生命があり、それに対して人工合成物はたとえメジャーキーの曲でも、無理な力みがあったり、どこか計算を感じさせるものがあったりして、流行りの風邪のように、一時の熱が冷めると何事もなかったかのように心の中から消えます。
つまり中途半端な、生命とは言えない動力=ロボット、のような感じがします。
そう言えばすぎやまこういちさんの「ドラクエ」は、生のオーケストラで聴くと非常に自然で美しいですね。
そしてその特徴は、まるで元々そこにあったかのように自然で美しい。
ビートルズのポールマッカートニーが「Yesterday 」ができた時、あまりにも自然で美しい曲だったので、これはどこかで聴いた曲に違いないと思い、スタッフに頼んで同じメロディーの曲を探してもらったけどなかった、という話は有名ですが、実は、この自然な楽曲が生まれる理由こそ、どこまでその曲の青写真に迫ることができたかという結果ではないかと思うのです。
つまり、青写真は自分の側にはなくて、自然の側にある、もっと言えば、この世界を包容する宇宙のエネルギー、人智を超えた、生命を生み出し、生かすエネルギーの側にあると思うのです。
しかし、その次元にはそう簡単にアクセスできません。
それではどうすればいいのか!
ここからはまた次回のお楽しみに、次回もよろしくお願いいたします。

羽岡仁

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