責任?

責任

1974年のパリ祭はゲストにジョセフィンベーカーさんを迎えての全国ツアーとなりました。
大阪厚生年金会館で開かれた最終公演の舞台が終わって楽屋に向かう途中で、私はベーカーさんから着替えたら楽屋に来るようにと呼ばれました。
そして部屋に入ったらベーカーさんの開口一番「今日のあなたの歌は何なの」でした。
そして「今日あなたは他人の歌を歌った。私はパフォーマーだからカーペンターズも歌います。しかしあなたはシンガーソングライターでオリジナルアルバムも出ている。お客様は一生懸命働いたお金を使ってまで、私たちの歌を聴きに来てくださっています。だからあなたにはあなたの作った歌でそのお客様に喜んでいただく責任があるのです。」と、ビシーッと叱られました。
その時の、笑顔だけれど凛としたお顔は今でもはっきりと焼きついています。
極貧の環境に生まれ、厳しい人種差別を経験し、その後の波瀾万丈の人生は映画にもなり、ご覧になった方も数多くいらっしゃるかと思いますが、ジョセフィンベーカーさんは「黒いヴィーナス」の愛称で一世を風靡した、まぎれもなく1920〜30年代を代表するスターのお一人でした。
ベーカーさんとのもう一つの思い出は、ベーカーさんがルイと呼ばれた、ルイアームストロングさん=サッチモについてのお話です。
旅の途中でのある時、遠くを見るまなざしで、「ルイは愛の人だった、全てを愛した偉大な人だった、ルイの音楽は愛だった、私にとってルイは大切な兄だった」と言われました。
サッチモさんの最後の手紙を宝物のように肌身離さず持っておられ、ステージでその手紙を読まれるシーンをプログラムの中に入れておられました。
そのシーンになると毎回涙されながら読まれ、歌われましたが、ベーカーさんはサッチモさんと同じように極貧の生活と差別を受けて育った同じ経験を持っていて、同じように人種差別に対するマーチンルーサーキング牧師の公民権運動に同調し、協力された時代がありました。
全ての人は神の子であり、人間は皆兄弟である故に皆平等、の教えに賛同され、白人、黒人もなく、人種を超えた多くの人たちとともに、手を取り合って一時代を作ってこられた苦難の人生が生で伝わってきて、見ていたスタッフや私も感動し、もらい泣きさせられてしまいました。
そのツァーの翌年、パリ、ボビノ座で開かれた50周年のショー、初日の客席にはジャンギャバン、ロミーシュナイダー、ジャンポールベルモンドなど、ヨーロッパを代表するスターがずらりと並ぶ中、大盛況のうちに幕を下ろし、アンコールの声を聴きながら、舞台袖の椅子に腰かけられたまま静かに息を引き取られたのでした。
その後も折にふれ「あなたにはお客様に喜んでいただく責任があるのです」のフレーズが思い出され、どういう意味があるのだろうとずっと私の宿題になっていました。
その10年後、作詞、作編曲などの仕事をしていた私に、石井事務所時代に知り合った電通の故今津氏から「おいジン、飯食おう」と電話がかかってきました。
私は久しぶりに家族と出会ったような気分になって、思い出話に花を咲かせていたところで急に真顔になった今津さんが「お前、絶対に音楽を続けろ!」と言い出しました。
私は別にやめるとも言っていないのに変なこと言う人だなぁ、と思いましたが、後になってこの言葉と先のベーカーさんのフレーズが、ある時見事にドーンと繋がって、私の人生を、より私らしい人生にしていく事になっていったのですが、この後の続きはまたもやこの次のお楽しみに、次回も何卒よろしくお願いいたします。

羽岡仁

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