相談?

ロシア軍がキエフをはじめウクライナ主要都市の民間施設に対しての無差別攻撃。
ニュース映像で、自国を守るための戦いに志願するウクライナの人々を見た時、第二次大戦時、レジスタンスに志願し、ドイツ軍と戦ったジョセフィンベーカーさんの顔が思い浮かびました。
そのジョセフィンベーカーさんは、2020年、フランスに功績のあった故人を讃える最高の栄誉として、パリの国家的な偉業を為した人を祀る殿堂である、パンテオンに祀られました。
それはキング牧師の公民権運動を支援した事、そして第二次大戦中は、ヨーロッパ侵略に出たナチスドイツ軍に抵抗して戦うレジスタンスの通信員として働き、ユダヤ人をかくまって助けたりした等の、フランス解放に貢献した功績、また戦後は私財をはたいて引き取り手のない孤児を育てた慈善活動を認められての決定でした。
こうしてジョセフィンベーカーさんの足跡を訪ねると、母国アメリカを捨て、自由、平等、博愛のフランスに理想を求めて渡ったこと、そして学校にも行けなかった極貧の幼少期、教会で目覚めたイエスの教え、他のために生きる愛こそが、貧困、戦争、差別などの苦難と闘う唯一の手段だと信じ、現実の中で愛を生きることが一生を貫いた憧れ、願いであった人生が見えてきます。
そのベーカーさんをプロモートした石井ミュージックプロモーション社長の石井好子さんは広島の原爆孤児を養子にして育てました。
後に電通のプロデューサーとなり、人気絶頂時のマドンナをCM に起用して話題を呼んだその人が、前回触れた今津さんでした。
石井事務所はとても家族的な事務所で、今津さんとも従兄弟のような関係になっていました。
その今津さんから事務所解散から数年後食事に誘っていただいたその時、「お前、絶対に音楽続けろ、お前は将来やらなきゃいけない音楽の仕事がある、でもこんな仕事は不安定だから、何でもやってその時が来るまで食いつなぎながら第一線で音楽やってなきゃいけない、CMやれよ、俺が口きいてやる」と言われました。
そしてそれから三菱霧ヶ峰を皮切りに、毎回商品もジャンルも違うCMを作っていく事になりました。
そこは思っていたよりダンチに高いクォリティーを要求される、ホントに厳しい世界でした。
それは「感性」では歯が立たず、生まれて初めて猛勉強しました。
ある時、制作会社のディレクターに、「毎回違うんですねぇ」と言ったらサラッと「だってプロでしょ」と言われてしまいました。
この時ベーカーさんの「喜んでいただく責任があるのです」がズシンと胸に落ちました。
この頃私はアニメの仕事もしていて、それまでのレコード会社のオーダー、そこにCMも加え、いわゆる音楽業界の、歌も作詞作曲もアレンジも、ただひたすらオーダーを受けて、それを注文に沿った形に作り上げる日々が続いていく事になりました。
そうした体験をしていく中で、いつか人々を癒やしたり励ましたりするような仕事をしたい、という感覚が芽生えてきたように思います。
具体的に言うなら、自分がスポットライトを浴びる事よりも、番組やイベント等の全体を輝かせ、生きる力を引き出す音楽を作りたいと思うように、なっていきました。
そんなある日、毎日放送から一本の電話がかかってきました。
内容は、ある番組のテーマ曲について相談があるので、東京支社に来てもらえないか、というものでした。
私は、打ち合わせじゃなくて「相談?」と思いました。
そして、その「相談」が私の人生の方向を決定的に変える事になっていきました。
さて、この続きはまたもや次のお楽しみに、次回もよろしくお願いいたします。

羽岡仁

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