始めます!

侵略の惨劇を目の当たりにして、その行いを正当化し、またどのような理由を述べたり、どんなに嘘や偽装を施したりしても、ただ虚しさしか聞こえてきません。
エゴという心の闇が、どこまでの破壊と殺戮を犯させ、その結果どれだけの怒り、苦しみ、絶望を作り出すのか…。
コロナ禍に始まり、ロシアのウクライナ侵略と続く「まさか」の連続は、自らの中の弱さ=エゴを超えて、さらに現実を踏まえた上での愛を生き、いかなる困難があろうとも、闇光を合わせ持つ人間と世界が、やがてきっと光に転じていくことを、どこまでも信じていく希望と勇気を、私たちの中から引き出そうとしていると思えてなりません。
さて私は、デビュー以来50年近い体験を経て、ある事を始めることにしました。
そこに辿り着く始まりは、前回にも触れたようにシンガーソングライターを止めて、スタッフサイドの仕事を始めた時ですが、その切り替えが、ある程度形に結ばれた年が、今からちょうど40年前の1982年でした。
この年は、郷ひろみの「純情」の作曲と、アニメ戦国魔神ゴーショーグンの劇場版テーマ曲「涙の法則」が発売され、それまでテレビ番組の音楽やテーマ曲の作詞、作編曲、またその歌などの仕事を始めてから一応の水準に行けた到達点だったなぁと、今では感じています。
それからは、これまでもお話ししたように、CM、劇伴、ポップスから演歌に至るまで、レコード会社の作詞、作曲、企画ものの歌等、本当に音楽業界の中でのひと通りの仕事をさせてもらい、さらに音楽学校講師、そしてある時は合唱の指導を務めたりする中で、実感としては、支えるはたらき、番組やタレント、また生徒や合唱メンバーの可能性を想い、一緒に育み引き出すはたらきをやらせてもらってきたんだなぁと思っています。
そして学校での役割を終えた時、私なりにこの人生の答を出さなければならない時がきた事を感じました。
具体的には長い間ペンディングになっていたシンガーソングライターです。
角度を変えれば、シンガーソングライターを止めてスタッフサイドの仕事をしてきた理由がやっと腑に落ちた、と言えるのかもしれません。
今やっと人生の仕事としてのシンガーソングライターに出会えたと感じています。
私はこの仕事を通して何を果たしたかったのか、その公案に50年かけて答をいただきました。
それは、この仕事を通して傷ついた人の心を癒したかった、寄り添い励ましたかった。
心の奥にある魂が奮い立つ歌を創り、歌いたかった。
財を得るためではなく、賞賛の声に讃えられるためでもなく、たとえ目に見えたり手で掴めたりする価値のあるものは何も得られなくても、自由な心、永遠の生命、魂の響きを共振、共鳴させて、悠久の時、無限に広がる宇宙そのものの愛に生かされて生きる歓びを歌い、分かち合いたかった。
それがこの50年間にいただいた体験の答でした。
今、私の心にはたくさんの人がいて、かつての孤独は嘘のようです。
今私は生まれた時代や地域、そして音楽業界、また親から流れてきた「常識」と、自分自身で作ってしまったこといろんな束縛から解き放たれつつあって、心は日増しに自由になってきています。
なので、私はやっとシンガーソングライターを始めます。
これまで多くの人、仕事に育んでいただいたテーマを具体化する力を、これからは神さまの青写真にアクセスするために使い、皆さんの魂と共振、共鳴する曲を創り、歌っていきたいと思っています。
そのような訳で、これからも引き続き、何卒よろしくお願い申し上げます。

羽岡仁

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