大人の歌2

ロシア軍が日本海でミサイル発射演習を強行しました。
北朝鮮が弾道ミサイルを発射しました。
与え合い、支えあって築いてきた生活、人生を土足で踏みにじり、残虐なやり方で大量殺人を犯す。
愛と希望を破壊する力とは何なのか。
そこには全てを唯物的にしか見ることが出来ない人間観、人生観、世界観があると思います。
生命、愛、希望、勇気、絆…、人間にとって最も大切なものは目に見えないし、手で掴む事はできません。
その大切なものを大切にする人々のおかげさまで、私は今日まで生かされてきました。
歌はそれら目に見えない大切なものを抜きには成り立たないからです。
さて、前回のお話の続きですが、ある地方のラジオ番組で黒木憲さんとご一緒した時、リハーサルが終わりお茶を飲みながら、黒木さんが「ジンちゃんさぁ、歌はいいんだから歌謡曲やった方がいいよ、1曲ヒットしたら一生食えるから」と言われました。
今思えば黒木憲さんの言ってくださった事の優しさをとっても感じています。
というのも、この業界で生きてきて、食っていく事がどれほど大変な事か、身に沁みて実感しましたし、ここまで音楽で生きてくる事ができたのは、本当にお客さまのおかげ、業界のおかげ、まわり全てのおかげ様だとつくづく思うからです。
しかし、当時はそのように様々な形で助けられて生かされている事には全く気づいていませんでした。
それよりも、前回ご紹介したTBSラジオ番組、ハニーサウンドオンライブでオンエアした曲をレコード発売できないと言われた事で、私はレコード歌手を続けていく気持ちが折れてしまいました。
私の中では、こんなヒットを作るための音楽を作る目的で東京に出てきたわけじゃない、本当に意義のある仕事をするために契約をしたんだ、と思っていたのですが、意義のある仕事とは、今にして思えば、確かに願いはあるのですが、自分を高く評価して欲しかった想いも混ざっていて、混沌としていて掴めないものだったと思います。
しかし当時は事態が見えていない状態で、しかもその自分の状態が分かっていませんでした。
例えば大人の歌というのも、当時の欧米におけるエンタメの世界は、大人のための音楽は伝統的なマーケットがあり、ビートルズの出現以降は下火になったとは言え、そこにはまだ音楽ビジネスの需要が十分あった時代でした。
それを日本に置き換えれば、大人の歌のマーケットとは、黒木憲さんがおっしゃっていたように歌謡曲だったと思います。
ただ確かに欧米のポピュラー、特にフランスのシャンソンの中には人生を歌う歌が数多くありましたが、それは歴史と文化が違うのですから中身の違いは当然でした。
そんな事がよく分からないまま、迷いながら仕事場に行っていたのですが、ある日事務所に行って、前日置いて帰ったギターを取りに応接室に入ったら、水原弘さんが座っておられたので、ご挨拶すると、にっこり笑って挨拶を返してくださいました。
「君のギターなんだ」と言われたので、「はい、そうです」と応えて、そこで二言三言交わしました。
その笑顔はとてもいい笑顔だったのですが、とても顔色が悪く、痩せられていて、少し寂しげに見えました。
私は何故かとても哀しい感情が沸いてきたのを覚えています。
本当はこの人とも仕事がしたい、だけどどうすればいいのか分からない。
その事が引き金になったわけではありませんが、私はただの大人の恋歌を作りたいのではなくて、喜びや悲しみ、希望や挫折、そのような人生の機微を作って歌いたい、客席とそのような共感を持ちたい、という想いを止めようがなくなり、ついにレコード会社に契約解消を申し出てしまいました。
明日から何の当てもないままに、やめてしまったわけですが、なぜか心の霧が晴れて、不思議なことに希望が湧いてきて、生きよう、という気力が溢れてきました。
そんなある日夢を見ました。
その夢は、まるでその後の人生の道行きを予感させるようなストーリーの、今でも細部まではっきりと憶えている、とても不思議な夢でした。
次回はゆっくりとその夢のお話から始めたいと思います。
それでは次回をお楽しみに、
よろしくお願い申し上げます。

羽岡仁

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