優しさ

中国はチベット、ウィグル、香港で、ロシアはジョージア、チェチェン、クリミアに次いで今回のウクライナ侵略と、2大専制主義独裁国の、力による国家及び民族の抑圧掠奪、虐殺行為が、第二次世界大戦以降の国際秩序を完全に破壊し、実行されています。
私たちは今、大きな時代の転換を体験しているようです。
さて、人は出会いに育まれて、子どもの頃の、一方的に与えられ、守られる段階から、少しずつ自立して自活に向かいますが、心の面での自律、成長は中々思い通りに進みません。私はこの歳になっても、今だに「俺はまだまだ子どもだなぁ」と思う事がしばしばあります。
所属事務所が主催した「パリ祭」という、毎年恒例のイベントがありました。
私もデビューした年、出演することになって、社長の石井好子さんから、芦野宏さんら事務所の先輩方以外のゲスト、高英男さん、深緑夏代さん、戸川昌子さん、水森亜土さんらに紹介していただきましたが、淡谷のり子さんにご挨拶した時、淡谷さんがにっこり笑って「あら、あなたなのね、元気?」と言われ、エッ、なんで?となり、誰かと間違えておられるな、と思いました。
聞いていた噂では、怒られるから注意した方がいい、という事でしたので、緊張してご挨拶したのですが、なんだか拍子抜けしてしまいました。
その後もパリ祭を含めて何度かお会いしましたが、その度に「また会えたわね、元気?」と言っていただきましたが、そんなに親しくお話ししていただくような間がらという事に身に覚えがなく、やはり誰かと間違えておられると思っていました。
その後、私は事務所解散にともない、制作の仕事にシフトしていったので、制作の仕事を通してしか皆さんとお会いする機会もなくなっていきましたが、ある日、岸洋子さんから連絡をいただき、当時原宿にあった岸さんのお店に呼ばれて行ったところ、声楽家の岡村喬生さんを紹介されました。
お話はそのお店でライブをやりたい、ついては、当時テレビ番組で司会もやっておられた、声楽家の岡村喬生さんと、何故か私に手伝って欲しいというお話しでした。
その頃の岸さんは、膠原病が少し良くなり、退院されて、すこぶる上機嫌で、クラシックとポピュラーを同じステージに上げて、新しいライブの形を作りたい、行く末はそのステージをメディアにも持って行きたい、というお話しでした。
東京芸大の声楽科出身で、シャンソンを唄い、後に「夜明けの歌」「希望」と、レコード大賞歌唱賞を受賞され、一時代を作られた岸洋子さんは、ご自身のルーツのクラシックとご自身のフィールドのシャンソン、歌謡曲を繋ぎたいという願いが込められたライブを作る場として、そのお店を使いたいというお話しで、岡村さん岸さんと私は大いに盛り上がりました。
残念な事に、岸洋子さんはその後すぐに体調を崩され、その後容体が悪化し、帰らぬ人となられました。
しかし何で私だったのか、その疑問は石井好子さんが、最後となったアルバムの中に羽岡仁の「青春」を入れたいのだけれど、その前にダミアを歌いたいので、以前羽岡が書いた詞を歌ってもいいかと言われ、サン・ザムール~ガラスの薔薇についてお話しをした時、石井さんのこれまでの仕事のお話しを聞いていて、だんだん謎が解けてきたのでした。
淡谷のり子さん、石井好子さん、岸洋子さんは東京芸大声楽科の先輩、後輩であり、実は私がデビューした時、淡谷さんにも岸さんにも私の話をされていたという事が分かってきました。
人間違いではなく、淡谷さんは私をご存知だったのです。
歌も気に入ってくださっていた事もその時初めて知りました。
岸さんも私の歌を聴いていただいた上でのお話しだった、という事も分かりました。
石井好子さんは最後の入院の際、私の手紙への返信で「優しい心のこもったお手紙、嬉しく拝読しました…」と、書かれ、その時私は、どこか最後を意識した文章だな、と感じました。
お三方とも他界されましたが、今私は、私の知らないところで、石井好子さんに本当にお世話になっていた事を実感しています。
事務所解散の際に、石井さんが私と、加藤登紀子さん、テレサテンさんの担当だったポリドールの福住さん、TBS の岡本さんとご一緒して銀座で会食した時、「ウチはお金がないけど、上質な仕事をしてきた自負があります、だからこれからも羽岡仁をよろしくお願いしますね、この人は行儀は良くないけど、音楽はとってもいいのよ」と言っていただきました💦
後になって分かる事、私は本当に何も分かっていなかった、ということ。
そして、どんなに生かされて生きてきたか、それが全く分かっていませんでした。
今となっては本当にお恥ずかしい限りです。
まだまだ私の知らないところで私は支えられてきたのだと思います。
私の人生は、ほぼ全てと言っていいほど支えられ、助けられ、見守られ、導かれてきたと言えます。
その分、私も、人を導くところまではとてもいけませんが、少しでも支え、助け、見守っていけるようになれればと思っています。
石井好子さん、岸洋子さん、そして淡谷のり子さん、皆さま、本当にありがとうございました。
次回もよろしくお願い申し上げます。

羽岡仁

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