優しさ2

立つ鳥跡を濁さず、ということわざがあります。
ロシアを専制統治する人は、立つ前に跡を濁しまくったあげく、無惨に破壊し尽くし、人々を殺戮し、妄想の被害者となり、全てを奪い取らなければ、奪い取られる、としか考えられなくなっているようです。

さて、デビュー当時、西新宿のアパートに住んでいた私は、ある日仕事を終えて帰りに、マネージャーが新宿2丁目のとある小さなカウンターバーに連れて行ってくれた事がありました。
当時は、職業柄当然ですが、私は思いっきり世間に顔を晒していましたので、近所の、初老のご夫婦がやっていて、朝、私が行くと「ジンちゃん頑張って」と言って必ずおかずの小皿を一品足してくれた小さな大衆食堂以外で、夜、お酒を出すような店に行くと、さすがに回りの視線が気になってホッと出来ませんでしたが、マネージャーと行った辺りの店のお客さんたちは、心許せる(同業、同種の)人たちばかりだったので、たちまち友達になり、常連になってしまいました。
中でも親しくなった写真家の高梨豊さん、絵本作家の東君平さんとは、いつしか3人会、みたいになって、その界隈を漂流しました。
お二人は私よりずっと先輩なので、私はいつもお二人の後に着いていく形で、どちらかのボトルをご馳走になっていました。
豊さんは「ジン!仕事どんな感じ?」と明るく訊き、ひと言返すと、それを受けて「それはさぁ!」と自論を展開され、最後は「篠山はさぁ…」と篠山紀信さんとご自身の写真の話しになっていきました。
君平さんは「ジンは売らなきゃ…」がいつものお話しで、こうしたら、ああしたらと考えてくれて、ご自身初めての自伝風の本が出た時、表紙の裏に、私の1stアルバムのタイトル「詩 歌 唄」をもじって「売った売った売ったのはねおか仁様へ」と書いて、贈呈?してくださいました。
そしてもう1人、大変面倒見のいい人と親しくなりました。
イラストレーターの久里洋二さんでした。
その頃、私はファンレターをもらっていた女性と初めて東京で会うということになり、一緒にその店に行ったところ、久里さんが来て、紹介すると、「ジン、カタギの人じゃない、家はどこ?」と言うので、北鎌倉だと応えると、ちょうどその店に一緒に来ていた、鎌倉在住の芸術新潮、編集長だった川島さんに、「送ってやって」という事になり、久里さん、川島さんを交えて、なんだか妙に盛り上がり、川島さんのお宅が近所だという事も分かり、遅くなってから川島さんに彼女をタクシーで送ってもらうという事がありました。
その後も久里さんが個展を開く時に、ご自身の絵をモチーフにした詩を書いてきて、これ個展で歌ってよ、と言われたので曲を作り、歌ったりした事もありました。
そしてその女性=今もずっと妻
、と結婚することになったのですが、司会を事務所の先輩の田代美代子さんが引き受けてくださり、勿論ゲストは石井好子さん、そこに久里洋二さんも来てくれて、市ヶ谷の私学会館で、ささやかだけど、メンバーは豪華で楽しい披露宴を友人の皆さんに開いてもらいました。
その頃親しくしてもらった人は、大げさに言うと数限りなく、たとえば、新人で右も左も分からない私に何かと本当に優しく教えてくれた尾藤イサオさん、そして、会うと真顔で「お前ねぇジン、そこが違うんだよ」と必ず「おやじ説教」から始まり、やがてお酒のピッチが早くなり、独演会になり、想定外のハチャメチャになりながらその自分を徹底的に楽しめる、特殊な才能を持ってた赤塚不二夫さん、そして赤塚さんと対照的に、「おはよう、どう、その後」と温厚な眼差しで、その演奏スタイルとは真逆の、自然に温かく優しい紳士の山下洋輔さん、よくウチに電話をかけてきて、「出て来ない、盛り上がってるからさ」などと言われ、山下さんとは一時期かなりの頻度で「仲間飲み」していました。
その時に「福岡に面白いのがいてさー、ライブが終わったら着いてきちゃったのよ」と言っていて、その後、新宿のアートシアターで一般人立ち入り禁止ノーギャラコンサートに呼ばれて行った時、赤塚さんが客席で、井上陽水と並んで一升瓶を抱えて私を手招きして、「こっちこっち!ジン!はい!駆けつけ三杯!」とお酒を茶碗に注いで、「次の面白いから見て!今ウチにいんのよこれが」、ステージに出て来て1人で4ヶ国語マージャンをやった森田一義さん、隣で陽水は腹を抱えて笑い転げ、赤塚さんは「涙出ちゃうよ、だろう?」と笑い転げ、そのたびにグィグィ飲み、そのうち気がつくと、自らもすっかり笑われる人に変身していました。
後で山下洋輔さんが言ってたのはこの森田という人物の事だ、と分かりました。
その後、彼は田辺エージェンシーを支えるほどのタレント、タモリになりました。
また何処からともなく現れて「今日の飲み代、アルバイトしよう」と言ってギターのある店に行き、私に弾き語りをさせて、自分は灰皿を持って客席を回り、そうやって店から店で「アルバイト」して数万円をいただき、「ジンの歌はいいねぇ」と目を細めて飲んでいた、役者で人形作家の四谷シモン。
その他、数え上げればキリがないほどの登場人物の、涙と笑いと憂うつと憧れがいっぱい詰まった、まるで昭和の社会派青春映画そのもののような、私の青春時代だったなぁ、と思ったりする今日この頃です。
その意味では私の「青春」という歌はよく出来ているのかもしれません。
そして、みんな優しかった、色々あったけど、不思議なことに、今となっては優しさばかりが心に残っています。
当時の私は様々な人生上の苦悩を抱えて、世界は全て敵、というような重い心を引きずって生きているような状態でした。
だから、ある期間この時代を封印して生きてきたように思います。
しかし50年近くを経た今、出会った一人一人との出来事が浮かぶごとに胸が熱くなります。
そして、心から込み上げてきた言葉をつぶやいてしまいます。
「ありがとう、優しさをありがとう」
次回もよろしくお願いいたします。

羽岡仁

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