Love Live Alive

今年も子どもたちの、とあるサマースクール用の曲を作りました。
コロナで学校に行っても、友だちと大きな声を出して遊ぶことも出来ず、マスクでお互いの表情も見えない、大人でも息が詰まりそうな生活を、ましてや子どもたちにとっては、どんなに過酷な毎日かと思うと、せめてひと時でも大きな夢を抱けるように、そんな気持ちになれるようにと思い、作りました。
私は、デビューしてすぐの仕事、雪印乳業の企業宣伝映画の撮影の際、エキストラの子どもが書いた詩に曲をつけたり、またフリーになった後、CMでも、森永、グリコ、ロッテ、明治、不二家、学研、…等々、お子様向けの仕事も多く、その他にもNHKの子ども番組の歌や、フジテレビの、やはり子ども向けの自然番組、東京おもちゃショーのテーマソングも数年に亘り、毎年作っていた事もあったりして、いつも未来をテーマにする仕事に関わってきました。
子どもたち向けの仕事が多かった人生だなぁとつくづく思います。
それらの仕事は、ある意味、自分の年齢感覚を分からなくさせるような効果?もありましたが、現実的には、既に私は、できる内に為さなければならない仕事を、優先しなければならない季節に入ってきたようです。
これからの仕事は、やり残しのないように、果たさなければならないと思っています。
1985年、私は「機甲創世記モスピーダ、LOVE 、LIVE 、ALIVE 」という久石譲作曲のアルバムの歌を歌いました。
機甲創世記モスピーダはテレビアニメですが、どちらかと言うとマニアックな作品で、数字的にはそんなにヒットしたとは言えないものでしたので何となく忘れていたところ、10数年前のある日、そのアルバムについて英語で書かれた、長文のメールが来るという出来事がありました。
そのメールはA君というロシアの青年から来たメールでした。
その頃、ロシアの若い人たちの間で、アメリカのアニメをネットで見ることが流行っていたようで、A君もハマっていたようなのですが、歌が英語ではない事を不思議に思って調べると、そのアニメが日本で作られた作品であり、英語に吹き替えられたものである事が分かったそうです。
そこから更に調べていったところ、ビクターの私の歌にたどり着いたという訳でした。
このアルバムで、私のファンになったA君は、私の仕事を徹底的に調べ上げて、ネットで全てのCDを手に入れていたのです。
それ以来、私の誕生日や、CDが出た時は必ず長文のメールが来るようになっていました。
そのA君から、今年の正月にYouTubeにアップした「風が吹くとき」についての感想を書いた長文のメールが来て、それに対して返信すると、また長文のメールがきました。
最初の頃のメールで自己紹介をして、写真まで送ってくれたファンなので、いただいたメールには短文の返信をしていましたが、YouTube2曲目となった「素晴らしい人生を」をアップした時のメールには、曲への賛辞とともに、自国の行為への哀しみが綴られていました。
私はその哀しみを受け止める短文を返しましたが、それに対しての返信はありませんでした。
そしてそれ以来彼からのメールはありません。
私はとても心配ですが、今の私にできる事は、ただA君の無事を祈ることしかありません。
今、世界にはこのような分断の哀しみ、そしてもっと悲惨な破壊、殺戮、ありとあらゆる悲しみが溢れていると思います。
しかし、だからこそ、私は、A君を含む、未来を背負う青年、そして子どもたちの希望と勇気を奮い立たせるために、またその親たちの世代が輝いて仕事に励めるように、そして私と同世代の人たちの素晴らしい人生のために、私は働かせていただきたいと願っています。
見回せば、やらなければいけない仕事だらけです。
まだまだ頑張りますので、
今後とも、何卒よろしく、お願い申し上げます。

羽岡仁

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