大空に抱かれて

目覚めた今朝の空は青く、高く、街を歩く頬にはとても爽やかな風が、もう既に涼しい秋の気配を漂わせるように、心地よい散歩をプレゼントしてくれました。
空に励まされるように歩きながら、走馬灯のように、これまでの出来事が巡ってきました。
父が亡くなった時、病院から担架ではなく、古い畳に乗せられて、家に運び込まれたこと。
小学校の担任の先生が、涙を浮かべて、無言で抱きしめてくれたこと。
その後引っ越してから、学校から帰ると、母からの罵詈罵倒が続いたこと。
私に手を上げることも日常になり、母が夕方から知り合いの家に行ったっきり遅くなった時は、人気のない真っ暗な町の中を一人で迎えに行ったこと。
そんな時、朝の青空はいつも気持ちを晴らしてくれて、元気になれたこと。
母が持って行き場のない淋しさや悔しさをぶつける相手が、私しかいなかったことが分かったので、私は、般若のような顔をする母が、せめて継母だったらいいのに、と思っていた事。
しかし一方で、だからこそ、私は音楽に夢中になり、祖母に買ってもらった1200円のギターが最高の世界を作れる、最高の友になったこと。
本当に、人生から消し去りたいような苦しくて、困難な日々が、後になってみれば、私に音楽を与え、一生のよすがとなっていったことを思えば、今となっては結果的に、あの厳しい少年時代を作った原因となった母との時間が、私の可能性を引き出してくれて、さらには人生の仕事に繋がる種を蒔いてくれた、という事実が胸に落ちて、心の底から、本当に母に対しての感謝の想いが溢れてきたのでした。
そして、デビューしてから、売れそうで売れない日々の中で、事務所が解散する時、社長の石井好子さんから、「売る事ができなくてごめんなさい」と言われましたが、今となっては、あの時売れなかったからこそ、勉強することができて、また石井好子さんがデビューさせてくれたから、音楽業界に人脈ができて、勉強をそのまま活かせて、私はプロになれた、それも事実なので、スターにならなかったからこそ、私は人生の目的を見つけることができて、本当にありがたかったとつくづく思っているのです。
長い間、私の人生は苦しく、悲しく、困難な事の連続で、自分は不幸な星に生まれてきた、などと思っていた事が恥ずかしくなってきます。
人生のマイナスと出会っていなかったら、一体私の人生はどうなっていただろう、と空恐ろしくさえ思えてきます。
そして、もし、何の不足もなく、満足度100%の人生だったら(そんな人生はあり得ませんが)、私は音楽とも出会えず、勿論デビューもせず、当然その後の勉強も、また勉強が可能にしてくれた作詞や作編曲の仕事も出来なかった。
だから音楽専門学校で教えることもなく、多くの生徒さんたちと出会う事もなかったと言えます。
そんな事が次から次へと心を巡り、また顔を上げて大空を仰いだ時、涙が込み上げてきました。
私は本当に幸せだったんだ。
気がついていなかったんだ。
ずっとこの大空に抱かれて、生かされて、育まれて、知らない間に導かれて歩ませてもらっていたんだ。
本当にありがとうございます、と歩きながら自然に声が出ていました。
そして、この気持ちになれた事こそ、求めていた人生に一歩近づいている証なんだ、と思いました。
そして、この大空の彼方に描かれた青写真が見えて、聴こえて、やがて形になるまで、捨てずに、逃げずに、諦めずに、アクセスし続けていこうと思いました。
この大空は、そして世界は、自己不信、他者不信、世界不信の塊だった私を、信じて生きようと思える私に変えてくれました。
これからは心底世界を信じ、未来を信じて、小さくても本物を目指して一生懸命挑戦しようと思っております。
皆様、ここまで育てていただきまして、本当にありがとうございました。
今後とも、何卒よろしく、お願い申し上げます。

羽岡仁

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