このところ、早朝曇りの日が続き、歩き始めて空を見上げると、分厚い雲が続いていて、その内微かに雨が降り始め、眼鏡に細いスジが入って、ちょっと急ぎ足になっていたら、道端の雑草が鮮やかな緑に変わっていくのが見えてきて、あっそうか、私は何となく晴れの日ばかりを期待してたけど、この雑草たちは雨が嬉しいんだ、ホントに見る見るうちに生き生きしてくる、と私も密かに嬉しくなりました。
本当に雨が降らないと、私たち生命あるものは干上がってしまう、でも降り過ぎると災害になって、何もかも奪われてしまう、難しいなぁと思って歩いてるうちにすっかり雨に濡れながら歩いていました。
ただ、わりと一生懸命歩いているので、体は熱くなり、汗もかいていて、これが汗なのか雨なのか分からないまま濡れて歩きました。
その時ふと、夏の子どもたちのための歌を書いていた、3ヶ月ほど前の事を思い出していました。
あの頃も、朝1曲書いた後、こうして歩きながら、これじゃあまだまだ今年の青写真にはほど遠い、時間はないし、こんな日が続いて、中々当たりが感じられない…、と焦っていました。
その時、この雑草たちが目に飛び込んできたのです。
その草むらは私が勝手にまとめて雑草と思い込んでいただけで、たとえ同じ種類の草でも、ひと束ひと束それぞれの生命を懸命に生きている、その当たり前の事実を、それまで全く意識していませんでした。
その瞬間私は、これだっ!と思いました。
「心澄まして、胸の奥で………を聞け」
スカスカなところは後で集中しょう、それより、ここは忘れちゃいけない、と「こころすまして………」とブツブツ言いながら、その後の散歩コースを歩き切って、帰宅したら仕事部屋に直行し、そのフレーズをメモしました。
メモし終えたと同時に、あの草たちの事を思い出しました。
あの子たちはこの雨であんなに生き生きとしていた、もしかしたら今私が作ろうとしている曲の青写真に、ヒントをくれてたんじゃないか、だとすれば、この出来事にどんな意味があるのだろう、神さまは何に気づけと促されているのだろう。
と窓の外の雨天を見上げました。
その時心の中からある想いが沸いてきました。
「子どもたち、じゃなくて、一人一人、未来の世界を作っていく大切な存在、魂じゃないか、忘れていた、曲の形ばかりに気を取られていた、違う、全く違う、そうだ、あの草たちが喜んだ雨だ!生命の水だ、生命の歌だ、それが必要なんだ」
という想いが心の深くから涙と一緒に湧き上がってきました。
もう何百回も、いやそれ以上この作業をしてきたけど、毎回毎回、全く新鮮な感動に辿り着く道を探して、書いては捨て、また書いては捨てて、何の保証もなく、当てもない曲にアクセスしてきたのは、この感動があったからじゃないか、
そして、一人一人の子どもたちが希望に輝かせるあの目が見たい、その目に光る、澄み切った涙にどれほど励まされてきたか……、そんなふうに私は正気を取り戻し、五線紙に向かいました。
その時、既に曲は出来ていました。
私はこの曲から生命に目覚めさせてもらいました。
そして、それは同時に世界の悲しみをダイレクトに感じてしまった時でもありました。
深い対立と、何が起こるかも分からない、このまさかの時代に飛び込んできた子どもたちは、きっと強く勇気に満ちた素晴らしい魂たちに違いない、だからこそ私は大人のふりをやめて、私も同じ時代を生きる一人として、真正面からこの曲に向かっていこう、そう思って書き上げる事ができました。
今、子どもたちが喜んでくれた事を、本当に感謝しています。
そして、この体験は既に次の仕事の大きな支えとなってくれています。
私はこれまでの音楽人生の中で、今が一番旬かもしれません。
このまま新しい挑戦を続けていきます。
今後とも、
何卒よろしく、
お願い申し上げます。

羽岡仁

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