My blue heaven

ウクライナの戦争は、ロシア軍による残虐な無差別攻撃で一般国民の尊い生命が奪われ、幼い子どもたちや青少年に予定されていた何十年もの未来が無残に失われています。
またこの戦争は多くの戦死者を出しているロシアの人々の心にも暗く深い影を落としている事も間違いない事実でしょう。
これ程悲しい事はありません。
この事態から人類は今、一人一人がエゴを捨て、愛を基とする生き方に変わっていく事を呼びかけられていると思えてなりません。
さて気持ちを取り直して、話を前回の続きに戻します。
「野生の王国」のテーマ曲が私の歌に変わっての放映が始まると、今まで普通に録音で行っていたスタジオやレコード会社のあちこちで「ジンちゃんテレビ見たよ、あのテーマいい曲だねー!」と声がかかり、それはまぁありがとうございます、だったのですが、そのうち「学芸教養もいけるんだー!」とか「あぁいうのジンに合ってるよ!」という声がかかるようになってきて、「アチャ〜、やっぱりかー⤵︎」となっていきました。
そうなると今度は学研の教材音楽の発注が来たり、外国の旅行記番組のBGM が来たり、今まで縁遠かった仕事が増えていきました。
ただ、私は初めてアニメの歌をレコーディングした時、デビュー以来、その時初めて伸び伸び唄う事ができて、オーダーに応える事で、仕事をしている実感を持てた経験もあったので、テーマが何であれ、シンガーソングライターをやっている時よりもずっと充実感を味わえた事も事実でした。
なので「学芸教養」も仕事としては全く嫌ではありませんでした。
そんなある日、CM などの仕事をいただいていた事務所に呼ばれたので出かけると、CMの話ではありませんでした。
その事務所のレギュラー作曲家のお一人に加古隆さんがおられたのですが、その加古さんが学長を務めておられる音楽学校で、作曲を教える講師がいないかと頼まれたので、羽岡仁のプロフィールを渡したら是非会いたいという事になりました、と言って事務局の方に紹介されるという、思わぬ方向へ思わぬ展開になっていきました。
えっ!まさか、この俺が講師?
というのが正直な気持ちでした。
とりあえず話を家に持ち帰って考えることにしました。
するとまず始めに胸によぎったのは、業界からどう思われるだろう、安定した仕事に逃げるのか、という声が聞こえてくるようで、カッコ悪く見られないだろうか、バカにされないだろうか、という想いでした。
しかし時間とともに徐々にその思い方に疑問が湧いてきたのです。
一体何がカッコ悪くて、どこがバカにされなきゃいけないのか、音楽を教える仕事のどこがカッコ悪いんだ?(実際、仕事を始めてみると、そんな生易しいものではありませんでしたが….)そう掘り下げていくと今度は心の鏡に映したその想い自体が次第にカッコ悪く見えてきました。
そうか、この他人にどう見られるかという想いに縛られて私は不自由になっていたのか、これこそ全くバカバカしい思い方だったんだ、と霧が晴れて、心にパーっと青空が広がりました。
そして学校がセッティングしてくれた日にお会いしたその場で、加古隆さんと意気投合しました。
実はその出会いの少し前に、仕事で声優の野沢那智さんとお会いしてお話しした時に、野沢さんが加古隆さんのファンだという事で、「フランス人にしか見えなかった…」とお聞きしたりしてたので、親しみを感じていた事もあって、加古さんといろいろ話が盛り上がり、私は音楽学校の講師を務める事になりました。
シンガーソングライターという小さく固まっていた世界から脱出したら、「My blue heaven 」が広がっていました。
そして始まった講師の仕事は大変な仕事でしたが、それは煎じ詰めれば、教える事は教えられる事、を知っていく道のりでした。
そしてそれは自分と世界を深く知っていく道のりでもありました。
私の世界観はそこから次元を超えて広がっていく事になりました。
一方で作曲など制作の仕事、その一方で音楽を教える仕事、それはまさに驚きと発見の連続、そのお話しは次回のお楽しみに、またもや次回もよろしくお願いいたします。

羽岡仁

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