ラッキー

楽曲の青写真にアクセスするにはどうすればいいか、という事について、先にお話ししたポールマッカートニーが、昔あるインタビューに答えて面白いことを言っていました。「僕はラジオを聴いているようにメロディーを思いつくんだ。だから僕は本当にラッキーなんだ」
このインタビューを見た時、私は心がふわっと柔らかくなったような感じがしました。
さすが、ポールはすごい、天才だ!(この想いは今も変わっていませんが) ただ当時のこの感情は、彼本人をメディアで見ていただけの、一ファンとしての気持ちだったと言えます。言い換えれば私がビートルズにハマった1964年からビートルズ解散後、今度は私がデビューした頃までの気持ちだったという事です。
私自身デビューした後、いろんな経験をしていく中で、レコードや映画などのメディアに出ているのは、悪戦苦闘した結果、形になったほんの一部分でしかない事を知るようになってから、あのポールの答えも、あれだけじゃよく分からないよなぁ、と思うようになりました。
今では彼の周辺にいたスタッフなどの証言や、「大人になった」本人の発言からも、彼がいかに仕事熱心な人で、かつ自分の仕事が、お客さんに喜んでもらうためのもの、という確信を持っていたかが窺えるような事実がいっぱい出てきて、「ラジオを聴くように…」の意味がだんだん分かってくるようになってきました。
その意味とは、つまり曲を作る以前に、100%とまでは言えないにしても、また意識するしないは別として、作業にかかる前の前提として、どんな曲にすればみんなに喜んでもらえるのだろう、という想いが強く働いているという事です。
その内圧が高まってきたところでギターやピアノに向かっていると思うのです。
それは彼が、お客さまにおもねるのとは全く違っていて、重心を自分からリスナーの側に移す感覚、つまり、あらゆる仕事に通じる「他に仕える事」=人のため、の感覚をかなり早い頃から持っていたという現れではないかと思えるのです。
その状態になって初めてテーマの青写真は自分の側から天然自然の側に移ります。
さて、そこからが青写真へのアクセスという段階ですが、これはテーマの次元によってかなりの幅があるようにも思いますが、まずスタートラインは同じで、今求められているテーマを強くイメージして想像力を最大に広げて作ります。
まず作り始めは調子良くいくのですが、完成すると、大抵「あ〜ぁ」な感じでスタートします。
そうやって作る事を繰り返すうちに、ある時点でフッと空気感が変わる時がきます。
ポールはそのあたりでポンと出てくるのでしょうが、私の場合は自分の引き出しを出し尽くし、限界を前に立ち止まり、全く手も足も出なくなったあたりからが勝負になっていきます。
このあたりになると決してネガティブではなくむしろポジティブに、自分が無力で何もかも支えられて生かされているという感覚が出てきます。
そして天を仰ぎ、微かな予兆に心の耳を澄ましてどこまでも聴こうとする気持ちが自然と湧いてきます。
その状態になると、寝ても覚めても神経はずっとある緊張状態を持続しながら生活しています。
そのうち、それが極まった時、一瞬の静けさの後、一挙にワーッと、まるで自分はそこに立ち会っている第三者であって、ただ書き写している感じで書き止めます。
ですから、本当に全部いただいていて、自分が作っている感覚はありません。
本当に感謝しかない、というのが正直な気持ちで、本当に自分はラッキーだと思います。
まぁ、とても比べ物にはなりませんが、ポールはあのインタビューに答えてこの事を言っていたのではないかと思うのです。
それが私が青写真を形にすると表現した内容のあらましです。
次に、じゃああの時何故中村八大さんは私に「バカだなぁお前は」とニコニコしながら何を言ってくださっていたのかという事ですが、その理由はまたこの次をお楽しみに…。

羽岡仁

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