大根役者

大切な人を失ったウクライナの人や子どもたちも、兵士となった大切な人を失ったロシアの人や子どもたちも、やがてその悲しみを乗り越え、きっといつの日か、もう一度立ち上がり、どんなに未熟な人間と不備だらけの世界であったとしても、未来に希望を持ち、明日を信じて生きる強い心を蘇らせ、街と生活と人生と絆を復活させていく日が必ず来るに違いないと思い願っています。
その復活への熱き心こそ、名もなき私たちが放つ事のできる、唯一かつ最強の光だと思います。
そんな切なる願いをも込めて、再度始めたシンガーソングライター第1弾となった、「風が吹くとき」に次ぐ第2弾、新曲「素晴らしい人生(とき)を」をYouTubeに上げましたので、是非ともYouTubeにてお聴きください!
よろしくお願い申し上げます。
さて、偶然のように訪れた出会いは、私が家庭教師として教えていた中学生が、ある日オープンリールのステレオテープレコーダーを買ってもらった、と言って見せてくれた事から始まりました。
そのテープレコーダーについていたデモテープのタイトルは確か、「カラベリときらめくストリングス」だったと思いますが、勉強が一休みの時間にそのテープを聴く事になりました。
そして、イントロが流れた途端に涙が出そうになり、ぐっとこらえました。
何て悲しくて美しいメロディーなんだろう…。
オーケストラが奏でているその曲のクレジットを見たら「ラ.ボエーム」、シャルルアズナブールと書かれていました。
早速アルバムを手に入れてギターで耳コピしました。
日本語で詞をはめ込み、自分で歌ってみると、キーが私とピッタリ同じでした。
そのアルバムは、当時いろいろ家庭の事情が重なり、行く当てもなくさまよっていた私が、見事にそのまんま映し出された歌ばかりで、まるで私自身の事をアズナブールが書いてくれたように思いました。
他にもアルバイトで、当時は珍しかったフランスのビストロ風レストランで歌っていると、店の名物シェフの宣伝効果もあって、だんだんお客さんが増えてきて、ある日行列ができる事態になりました。
そしてその店をホームベースに、あちこちとコンサートにも呼ばれるようになっていきました。
その頃には、アズナブールに倣って、当時の私にピッタリの暗い「人生」を見つけ、オリジナル曲を作るようになっていました。
まだ神戸にいた私は、関西の局から番組に呼ばれたり、さらに東京から杉田二郎さん司会の日に、TBSラジオ「ヤンタン東京」に呼んでもらい、さらに渋谷ジャンジャンにも出演させてもらいました。
そのあたりから音楽業界にも知られるようになって、遂にはレコード会社からお声がかかるようになっていきました。
そんなわけで、私が求める人生の歌は、マイナスだらけの暗い人生から始まることになりましたが、アズナブールをコピーをした中の一曲に背中を押されて、私は歌で世の中に出ていく事になっていきました。
「ル.カボタン」(大根役者)、
「僕は大根役者、誰にも認めてもらえなくても、仕事がなくても、舞台さえあれば、あらゆる人生を演じてみせる…。」
そして文字通り、あらゆる人生を歌う道が開かれていきました。
今振り返れば、私の生まれ育った環境はマイナスそのものでした。
私にとって音楽は闇の中に射す一筋の光でした。
そして、この闇に塞がれた苦しみの向こうに突き抜けて行けば、いつかきっと光に満ちた歓びの世界に出て行ける、という想いが、何故か確信のように心に居座り続けていました。
ギター1本で、歯を食いしばって、
壁にぶち当たれば「負けるな、諦めるな」と自分の胸を叩きながら生きるその頃の私は、「ル.カボタン」そのものでした。
そして私の中にはもう一つ、全ての人が癒やされ、勇気を奮い立たせ、歓びに満ち、本当の幸せになるときがきっと来るに違いない、そして私はそのための歌を作るんだ、という想いがありました。
ただ、どうすればそんな歌が作れるのか、皆目見当もつかないまま、それでもデビューする道が、自分の意思を遥かに超えた、目に見えない大きな力で、あれよあれよといううちに開かれていきました。
そしてその後、これもまた常識では考えられない展開が私を待っていました。
そのお話はまた次回のお楽しみに、という事で、「素晴らしい人生(とき)を」Youtube URL https://www.youtube.com/watch?v=YdTpHjVIKDY ともども、

何卒よろしくお願い申し上げます。

羽岡仁

Share:
Copyright Jin Haneoka. All Rights Reserved.