CM ソング

北朝鮮は日本海に向けて弾道ミサイル8発を発射しました。
ロシア軍は、ウクライナ占領地域のインフラを破壊して、民間人を強制連行し、人質として強制収容所に入れていて、そうした地域で親を殺されたり、家族から引き離されたりしてロシア国内に強制連行された子供は、既に25万人余りに上っているようです。
中国のウィグル人ジェノサイドを彷彿とさせる蛮行だと思います。
さて、前回お話ししたように、私は北海道、帯広市広野町でのオールロケで撮影した、雪印乳業の企業宣伝映画で、初めて自分から離れた作曲、「仕事」を経験しました。
それは私にとって、人生の仕事への第一歩となりました。
それまで私は、プロとアマチュアの違いについて、アマチュアはお金を戴けない、プロは仕事の代価としてお金を戴ける、それだけの価値がある、と漠然と分けていたと思います。
しかし、親のいない子が書いた詞「牛の歌」はこの考えをぐらつかせる「事件」になりました。
プロとアマチュアはお金を戴けるか戴けないかの分かれ方ではなく、そのはたらきが自分のためか、自分以外の人のためか、という分かれ方なんじゃないか? と心にキレツが入った事件となりました。
辞書によるとアマチュアは「職業としてではなく、余技、趣味として行う人、愛好家、好事家」、プロは「それを職業とする人」と書いてあり、職業は自分以外の人のためのはたらきと言えます。
そして、そのはたらきの結果、相手の人なり企業なりが、必要を満たしてくれたと認めた時に、その報酬としてお金を戴けるという事になっています。
現に、私がプロと認定されてから、自分が作った詞や曲が、結果的にギャラが出るところまで到達したものは、半分とまでは言わないけれど、書き潰しも含めるとそれに近いパーセンテージになっていると思います。
そういう条件で生計を立てていくのは容易なことではありません。
ですから、何とかヒットを当てて、不安から抜け出したい、またヒットが出たなら、次もまた次もヒットを出したい、と思うのは、この世限りの人生ならば、ある意味当然の生き方になると思います。
だからこの業界は過酷なヒューマンレースになって当たり前です。
一方、外から見たら同じ行為にしか見えなくても、本質的な仕事のメカニズムに目覚めたなら、そこにどんなに苦労があったとしても、その結果生まれた作品に、喜んでくれる人を見る歓びは格別です。
しかし、いつも目の前は二つの道に分かれていて、お前はどっちの道を選ぶのだ、片方は自分のために生きる道、もう片方は自分以外の人のために働く道、
勿論、その都度心は揺れて、明らかに自分の下心をくすぐる、誘惑と見える道なら反対の道を選ぶけれど、そう簡単に区分けできるような仕事など、一つもないというのが現実でした。
どこかで自分の中にある虚栄心が引き出されたり、はっきり欲望とは言えなくても、願望を満たしてくれそうな仕事には、いろいろ自分に言い訳しながら引っ張って行かれたりもしていました。
しかし結果は必ず歴然と出てしまいます。
やはり自分の心に嘘はつけないもので、自分から離れられた時の仕事は、結果売れても売れなくても心はスッキリ晴れやかなのに対して、ドップリ自分が浸り切った仕事は、売れたら有頂天、売れないとどん底、と違いはハッキリしていました。
私にとって、今思えば奇跡のような出来事、そしてそれは人生の仕事への第二歩目、それはデビュー早々いただいた仕事が幾つかのCMだった事、しかも名前テロップのない、単なるCM ソングを歌う仕事、そして作曲する仕事。
その時は気づかなかったのですが、実はこの時、集中的に自分から離れた仕事をしていたわけで、この体験が、その後の右か左かを選択する感覚の基準になっていったという事になります。
そうして始まった「シンガーソングライター はねおか仁」の道往きは、出会いの中で作られていく事になりました。
それも、あまり表面に出ない出会いに育てていただいたと言えるように思っています。
次回からは、そうした出会いに焦点を当てて辿ってみたいと思います。
それでは、次回もよろしくお願い申し上げます。

羽岡仁

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